こんにちは、志田園芸です。

その後7月3日に、村上氏からツイッターを介して私にコンタクトがありました。
送られてきたメッセージの内容を要約したものが、以下です。

志田園芸のメダカを使ってたのは最初だけ。今は使っていない。
Web上では伝わりにくいのでこのような誤解も生まれるが、親子達にはきちんと説明をして理解してもらっている。
鳥海ボトルアクアは河原で遊べなくなった子供たち、川魚から疎遠になった子供達に必要なものである。
自分がやっているのは商売ではなく、岩魚の養殖や川魚の魅力を広めることである。
鳥海ボトルアクアについては、志田園芸の記事で指摘されたような問題が出た。
ボトルでの生体飼育の難しさから現在は改良を重ねている。
納得できるまではメダカ生体を一般化(?)することはない。
今後もこの活動をやめるつもりはない。

このメッセージで、村上氏は自らが企画製作した鳥海ボトルアクアについての問題を認めました。
問題が解消されるまでは生体を使用した商売をすることはないという趣旨の一文もありました。
ところが、後日たまたま夏ギフトの検索で知ったHOUSE清川屋のイベント内容を見てみると、そこに鳥海ボトルアクアの文字を発見。しかも、魚の水槽を作り……とあります。

無題

あれ? 生体を使った商売は、しないんじゃなかったっけ?
それなのに、魚を使った水槽とは、どういうことなのか。
メッセージが送られてきて間もないけど、こんな短期間で、しかも水質変化の著しい真夏にも関わらず、問題は解消したとでもいうのか?
疑問に思った私は村上氏の販売サイトやSNSを見てみました。
問題が起きたから、生体を使ったボトルアクアリウムは中止している等の投稿がないかと探してみましたが、そういった説明は、何処にも見受けられません。
それなのに、SNSの更新は続けられていました。

そこでHOUSE清川屋に尋ねてみました。
すると、生き物の種類は講師都合なので分からないが、生き物を使った作品を作るのは確定とのこと。

村上氏は私に対して、
「問題が出たので、生体を使ったボトルアクアはやりません」
といいながら、HOUSE清川屋には
「(生体を使った)ボトルアクアやります」
と言っていたことになります。

さらに、HOUSE清川屋から聞いた話によると、村上氏が来訪した際、見本として鳥海ボトルアクアを2本置いていったそうですが、間もなくボトル内に苔が生え、中にいた生体は死んでしまったそうです。
そりゃそうでしょうね、としか言えません。
あのボトル飼育では問題が出ると認識していながら託したのですから。

どうすればいいですか、と逆にHOUSE清川屋に尋ねられたので、私はメダカの生態を説明し、そもそも鳥海ボトルアクアのような形態では飼育できないことを伝え、生体を使用したこのようなイベントは辞めていただきたいとお願いしました。
HOUSE清川屋は、A氏とイベント内容について再度協議してくれると言ってくれました。
これ以上、鳥海ボトルアクアの犠牲になるメダカが増えないと良いのですが。

A氏はメッセージの冒頭で、志田園芸のメダカを使用したのは最初だけだと書きました。
ああ、うちのメダカが使われてたのは最初だけなんだ。なら問題なし。
……なんて、私が納得するとでも思っているんでしょうか。
私の育てたメダカも、自然界から採捕したメダカも同じです。
何処ぞのブリーダーから譲り受けた個体だろうが、そこら辺にいる野生個体だろうが関係ないのです。
私のところのメダカが使われたのは勿論腹立たしかったです。でも、問題はそこではないのです。
メダカに対して愛情を持って扱わず、ましてやあんな形態で飼育できるという誤った認識を広め、問題が出てもSNSやサイト上で訂正せずにひた隠し、さらに癒やしのアイテムとして子供達に紹介し、鳥海ボトルアクア=小宇宙という壮大な言葉を持ち出しているところが問題なのだと言うことに、どうして気がつけないのでしょう。
さらに要約には書きませんでしたが、村上氏はメッセージの最後に、私が書いた記事が誹謗中傷であるとし、削除するよう求めてきました。

私の憂いている事が何なのか、まだ分からないのですね。
問題が出て、生体も死んでいるのに、未だに水換え不要などというメンテナンスフリーを謳っている。
あのボトルアクアリウムにこだわり続ける理由は、一体何なのでしょうか。
私が鳥海ボトルアクアについて誤解しているという認識でいるA氏は、子供たちの前で何を語るのでしょうかね。
引き続き、鳥海ボトルアクアでメダカ(やエビなど)は飼わ(買わ)ないでください。
鳥海ボトルアクアで学べる知識は、このボトルで飼うと死ぬ。それだけです。